全国旅行最新情報!▼空気を読まない朝日新聞がKY文化を語る
朝日新聞アスパラクラブ aサロン【ニュースDrag】より
(以下引用)
いくつかの大学で、メディア関連の講義をする機会があるのですが、いつも思うのは、学生の反応の鈍さです。質問が出ないので、どのくらい理解されているのか、なかなかわかりません。あとで、感想文を書いてもらうと、面白い意見やら、質問やらが書かれているので、わかってもらえたと安心したり、舌足らずだったと反省したりしています。しかし、講義のときに、手を挙げて、そのことを言ってもらえば、もっと面白い授業になるのにと、いつも思ってしまいます。
もちろん、学生が手を挙げたくなるように誘導するのも教師の能力だと思います。だから、教え方が悪いと言われれば、それまでなのですが、自分の非を棚に上げて、もっと反応しろと、ついつい言いたくなります。先日も、教育は双方向のものだから、教室の後ろにかたまって、何の反応もなければ、いい授業にならないと挑発したら、感想文にいろいろと反論が書かれていました。
そのなかに、「空気」の論理で反論している学生がいて、なるほど、そういうものかと、感心してしまいました。教室の前の方に座って、「先生、質問」なんてやれば、場の空気が読めない奴だと言われてしまうというのです。全共闘世代とも言われる私たち団塊の世代は、大学時代に、いろいろな場面で教師と対話したり、対決したりしてきた、という話もしたのですが、その学生は、それも時代の空気であって、団塊の人たちがいま大学にいれば、絶対に自分たちと同じようなことをしている、といった反論を書いていました。
「KY」(空気が読めない)という言葉を知ったのは、安倍首相の辞任をめぐってだったと思います。しかし、学校という空間のなかでは、ずっと前から、KYという言葉が存在していたのでしょう。
考えてみれば、KYという単語こそありませんでしたが、「空気」は、昔から日本社会に重くのしかかってきたと思います。場の空気を読みながら行動するというKY文化は、共同体の秩序を乱さないという点では、必須の条件だったかもしれません。しかし、異論を許さない文化は、発展がありませんし、間違った方向に進むときに歯止めがありません。
軍国主義に走る日本を批判した人々は、「国賊」や「非国民」のレッテルを貼られ、いつのまにか、だれもものを言わない、言えない空気のなかで、日本は戦争への道を突き進みました。「空気」に従うことの恐ろしさが、戦後の日本では、個人の自立や自覚を尊ぶことにつながったと思います。
しかし、気が付いてみれば、若者たちの間で、KYなんて言葉が使われるようになっていたわけで、自分たちの世代や自分自身も含めて、KY文化に染まる若者を育てたことを反省する必要があると思います。
我が身を振り返っても、会社のなかで、言いたいことを言ってきたように思いますが、回りの空気を感知して、静かにしておこうと思ったこともありますし、上役に正論を言う同僚がいると、そこまで言わなくてもいいのに、などと心配したこともあります。
口うるさいと言われた団塊の世代も、いつのまにかKY文化に染まり、日本列島に脈々と流れているDNAを次の世代に伝えてしまったのかもしれません。
このままでは、日本衰弱列島になりそうですが、若い世代にも反省の機運はあるようです。
別の大学で同じように、もっと質問しろと、挑発したときに、就職試験の話を感想文に書いた学生がいました。小学校以来、教室で発言したりするとシカトされるので、黙っているのが美徳だと思ってきたが、就職試験の会場に行ったら、プレゼンテーションやらディスカッションやらの連続で、それなら、もっと学生時代に、そういう訓練をしておけばよかった、というのです。
KY文化だけで生きられた時代なら、企業も、「男は黙って勝負する」で、黙々こつこつ働きそうな人間を雇ったと思います。しかし、それでは企業は生き残れないと思うから、プレゼン能力やら、ディベート能力やらを、採用基準に入れているのでしょう。
最初に紹介した学生も、自分も空気を気にしないで、何でも発言するようになりたいが、勇気がないのだといったことを感想文の最後に書いていました。空気なんかに支配されてはだめだという意識はあるのだと思います。
ワシントン特派員だった時期に、米国の自由な空気を感じたのは、シンポジウムや講演会の席でした。壇上の人たちの発言が終わるのを待っていたように、次々と質問の手が挙がります。質問者は名乗るのがルールですが、学生、シンクタンクの研究者、役所のOB、大学の先生、現役の役人、ジャーナリスト、NGOのスタッフら、職業はさまざまで、みな自分の関心領域にこと寄せて、講演者から何かを引き出そうとしているように見えました。
聴取は、来たからには自分の聞きたいことを尋ねて、たとえ無料の講演会でも、モトを取って帰ろうというどん欲さにあふれているように思いました。質問がないのがふつうだという日本の講演会に比べて活気があるし、論議も深まると思ったものです。
ワシントンから帰国後、帰国子女となった我が家の子どもが、中学校のテストの採点がおかしいからと、先生のところにアピールに言ったら、「私の採点に文句があるのか」と大目玉を食い、子どもがびっくりしたことがありました。米国にいたときには、採点についてのアピールも採点のうちで、文句の付け方に、それなりに説得力があれば、「それならあと2点やろう」ということになったのだそうです。
もちろん、米国の講演会では、KYの人たちもたくさんいて、とんちんかんな質問もたくさん出ます。米国は自由な空気だと書きましたが、手を挙げて質問しないと、無口で陰険なやつだとか、質問も出来ない無能なやつだとか、言われる「空気」があるのかもしれません。米国の本屋に行けば、どうすればいいプレゼンができるかというハウツー物が棚に並んでいますから、手を挙げるのは厳しい訓練の成果かもしれません。
だから、米国流がすべて正しいとは言いませんが、日本流のKY文化のほうが深刻だと思います。最近の食品偽装の記事を読んでいると、企業内の不正行為について、「とても言い出せるような雰囲気ではなかった」などという従業員のコメントが出てきます。KY文化が企業内にはびこれば、企業は内部崩壊するということでしょう。防衛省だって、飛ばされるのを覚悟で、前次官に諫言を言う人がたくさんいれば、こんなひどい事態にはならなかったと思います。誤った作戦でも、上官には逆らえない、ということであれば、昔の軍隊とまったく同じではありませんか。
若い人たちに、反応が鈍いとか、乗ってこないとか、お説教する前に、言いたいことも言えないKY文化を壊す勇気を、私たちの世代が示すことが大事だということでしょう。
以下、アスパラーたちのコメント
KYを流行らせるマスメディア
『KY』空気を読めないと云う流行語が、安倍元・総理の頃から、
どこからか、流行りだしていますが、それを一般社会に当て嵌めるのは
多少、無理があるように感じます。
政界における『KY』とは、民意が読めないと云う意味合いですからね。
しかし、『KY』は兎も角、今の日本社会には、自由に意見を云い、また
批判する雰囲気がないのも事実です。
戦後、形だけは民主主義国家になりましたが、実社会では、諫言をしたり、
批判をすれば、その集団から疎外されると云う慣習がそのまま、残って
いるのではないでしょうか?
報道を通して、社会や政治を批判するマスメディアですら、先の大連立
工作をしたナベツネ氏に対して、かの新聞社や系列のTV局からは、何ら
批判の声が聞こえないと云うのが、その証しでしょうね。
政治に限らず、会社組織でも、批判されなければ、腐敗するのは、昨今の
偽装事件を見れば、明らかです。腐敗した会社なら、倒産で済みますが、
政治が腐敗し、破綻すれば、それでは済まず、国民に多大の犠牲と迷惑が
及ぶのは必至です。どうか「空気の読める」マスメディアになって欲しい
と願っています。朝日さんへ。
投稿者:いほうじん 2007年12月17日23時35分
これで、このことに関しては足りているというもの。
これで、このことに関しては足りている。そういうものが充足感であり、満足度になる。新聞やテレビが自身の媒体が思うほど、強くないように感じるのは、『これで、このことに関しては事足れりなんだ。』というものが不足しているからなんじゃなかろうか。事足れり、事足れり。そういうものが充足感につながり、生産性や建設性を生じさせていく。否定しがちな人間の習性を肯定させる、ないし、充足させることが切望されている。万能。偉大。荘厳。使命。そういう生き方がイエスキリストの人生です。かもめのジョナサンという本を読んでいる過程でキリストのことを私は強く理解した。世界のベストセラーの頂点に立つのが聖書でもある。マスコミは事足れりということを目指せ。事が足りているから、方向明確、実行あるのみなんでしょ。
投稿者:金が欲しい。 2007年12月18日07時15分
少しは空気が変わって欲しい
「空気を読む」など、長い歴史により醸成された日本的な社会風土のような気もするが、それではいけないのだろう。
アメリカでもキング氏の口が封じられたようなこともあるが、元々移民の国で開拓の民だから、黙っていては生きていけまい。
日本は、徳川300年の封建制の歴史と、それに続く上からの立憲君主制、”弁士黙れ!”はじめ特高による弾圧、敗戦後の一時の解放も朝鮮戦争以後の日本政治社会の右傾化。例えば、一時期の地裁による革新的判決に対する司法当局の”改革”、学生が・学校が、知的で若いエネルギーを政治に向けることへの弾圧、最近は高裁での表現の自由を圧迫するような判決、自衛隊のよる世論操作と思われるような活動、教育委員会による先生の自主的活動への圧迫や君が代・国旗問題、要は戦後一貫して自民党政権が言論表現の自由を圧迫し続けてきたことと関係する。
学生が「空気」を読んでいても、多分自らの意見を押し殺して「空気」に同調しているわけではなかろう。昔から市民の見る目は確かだ。学生はその眼を更に歴史に学び勉強して欲しいが・・。
民主党の躍進で今後どうなるのか。政治家は”民主主義”と叫ぶが、経済など自分に都合のいいことには自由・競争と言い、言論は規制が必要と言う。憲法に保障された言論表現の自由があっての民主主義ではないか。
投稿者:山びと 2007年12月18日09時28分
日本に「民主主義」が育っていないと言うことでは?
いつもながら、高成田さんの「守備範囲の広さ」に感服しています。
「KY]は、決して「若者」だけでなく、「全国民」に蔓延している「病根(悪弊)」だと考えます。政・官・財は元より、一般社会や教育現場、井戸端会議でさえ「正論」を述べるには、相当の「勇気と覚悟」が必要な世の中です。
この原因が「沈黙は金」「不言実行」が美徳とされた名残なのか、「官尊民卑」や「長い物には巻かれろ」的思考の産物なのかは不明です。しかし「異論」を許さない社会は「異常」であり「危険」です。末期的症状を呈している日本社会が、それを証明しています。
結局、日本には「真の民主主義」が育っていないと言うことでしょう。所詮、他国(特にアメリカ)からの借り物で、自分に都合の良い所だけ「つまみ食い」したに過ぎないのでは? 例えば、「多数決」には「少数意見の尊重」が、「自由」には「責任」が不可欠ですが、こんな初歩的な事さえ守られていない現状で、「民主主義国家」とは、笑止千万です。
しかし、だからこそ「我々おとな」の「信念と責任」において、民主主義国家建設のために、邁進すべきだと考えます。頑張りましょう!
投稿者:みっちゃん 2007年12月18日17時51分
危険予知
てつおじさんが仰るように「危険予知」という意味でなら、私も職場で頻繁に使用しますが、あいにくまだ周りで「KY」を「空気が読めない」という意味で使っている人を見たことがありません。
「KY」という言葉が流行っているとの報道に初めて触れたとき、とっさに「にしても、一体KYってだれだ。」が脳裏に浮かんだ私は少数派でしょうね。
投稿者:mizo 2007年12月21日20時32分
知に働けば角が立つ・・・・?
空気が読めない人間を排除しようと言う感覚が昔から有ったから、かの漱石先生もやりにくかったんだろう。情に棹さしゃ流される。金を借りる時だけニコニコやって来る奴。とかくこの世は住みにくい。そうして日本は戦争したんだとさ。
此処で声を上げないと、本当に日本は戦争への道を再び選びそうで怖い。弱者切捨ての姿勢も垣間見える。薬害肝炎の人達や、サリン事件の被害者に手を差し伸べもしないで、議員宿舎だ?ふざけるな!
投稿者:茜ちゃん 2007年12月23日00時27分
(引用終了)
無駄に引用が長かったですが、本来の「KY」の意味から遠ざけようと朝日必死の有様と、まんまと偽の「KY」を擦り込まれてしまった愛読者たちをお楽しみ頂けたでしょうか?
まあ、「朝日」+「KY」と言えばこれしかないでしょう。
朝日新聞が廃刊するか、真っ当な新聞社に転向するまで、この事件を風化させてなるものか!
【KY記念映像】
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基本的にいいことを言っている人が多そうなんだけど
(ただチョンイル新聞フィルターが鼻につくものの)
最後の茜ちゃんは被害妄想でしょう。
「日本は戦争への道を再び選びそうで怖い」って。
あ、でも、これもチョンイル新聞の「空気を読んだ」見事な投稿ですね。
本人は気づいているのかいないのかわからんですが…。
自分、広報の研修に先日参加したのですが、そこで講師が「KY」をアサヒ流の意味で使ってましたw
「ウホッ リアルでKYって会話に使う奴、始めて見た」と思っていたら、マジでそっちの方だったらしく…
1.「国民」「大衆」「我々」と言うべき箇所で、「市民」を連発
2.経歴に男女共同参画推進関連団体に広報アドバイザーとか書いてある
3.編集者が気をつけるべき点として、「差別語・悪印象を与える語」を挙げ、共同通信社の用語辞典を推薦
4.「日本と東南アジアには歴史的問題が」などと発言
極めつけはレイアウト実習用の素材。講師本人が主催した集会のチラシだったというそれには、「9条のロックンロール」というタイトルがw これ、何翻ですかね?倍満くらいいってますか?
何気に、投稿してるしヽ(´ー`)ノ
朝日としては、自分の所がやったKYを風化させたくて躍起と言うところでしょうね
なんか、違うKYを流行らせようとしてKYを連呼するたびに本来のKYの風化が遅れるという、なんと言う本末転倒。
そういえば連戦連勝行け行けどんどんな空気を作ったのはアサヒでしたよね。